special interview

創業
150周年
記念対談

ヒストリーを、
ストーリーに。鹿児島の歴史や文化と共に、
本格焼酎という物語を世界へ。

2018年4月、リニューアルオープンが目前に迫った
いちき串木野市の濵田酒造「伝兵衛蔵」で、
濵田酒造グループ代表濵田雄一郎と歴史学者原口泉先生による、
創業150周年を記念した対談が行われた。
共に鹿児島県出身で、ふるさとの歴史や文化をこよなく愛し、
深い造詣をお持ちの二人。
話題は、地元薩摩で幕末きっての名君が残した大きな功績からスタートした。

01

あの幕末の名君が、
本格焼酎の大恩人だった。

原口:はじめに、雄一郎代表、創業150周年おめでとうございます。

濵田:ありがとうございます。

原口:私は光栄にもこの10年間、社長が建学された「薩摩金山私学校」の学長を務めておりまして、ある時NHKの大河ドラマで「篤姫」がブレイクし、鹿児島県が一気に全国から注目されて私学校も忙しくなったわけですが、そんな篤姫をはじめ、鹿児島の歴史上の人物がブランド名となっている焼酎も濵田酒造さんでは作られておりましたね?

濵田:「天璋院篤姫」という焼酎や梅酒もありますが、その前に「斉彬乃夢」という焼酎を発売しました。現在もこの伝兵衛蔵のフラッグシップにしています。

原口:では「篤姫」の養父の「斉彬」が、初めに発売されていたわけですね。

濵田:私は「島津斉彬公」こそ、本格焼酎の大恩人といいますか、本格焼酎を今に導く鍵を開けられたのはあの方だと思っています。彼は当時美術工芸品の貿易で、藩の財政を立て直そうと考えておられていました。商品の発売がちょうど島津興業さんで薩摩切子を復元されてしばらくの頃でしたから、切子の中に芋焼酎入れて「斉彬公」にご報告すれば喜んでもらえるのではないかと思い、島津興業さんに企画を持ち込んだのが始まりでした。

02

薩摩切子グラス入り、
本格焼酎を販売。

原口:まさに「斉彬の夢」が150年ぶりに復活したわけですね。薩摩切子も世界に輸出を目指した美術工芸品。やっぱり幕末から明治にかけてのジャポニズムが、ひとつの要因になったのだと思います。「篤姫」が将軍家に御台所として輿入れ(こしいれ)する時の持参品も薩摩切子で、今でも徳川黎明館に保管されています。しかもその中身を芋焼酎にされたというのがほんとに素晴らしいアイデアですね。もったいないというか贅沢というか。

濵田:それで、当時金赤と藍ボトルを2種類作ったんですけど、金赤のほうで24万円。焼酎で24万円とは、いったい何だ!と、それはもうびっくりされたんですよ。

原口:「斉彬」が投じた金は、もっと莫大だったと思いますよ(笑)。でもやっぱり地元の、サツマイモという材料を使って、地元の技術で西洋の工業技術を移植するというやり方ですよね。当時日本は富国強兵を目指したわけですから、綿火薬にはエタノールが絶対必要だったわけです。それに先鞭つけて、自家醸造している芋焼酎で作れというのは、まるで科学者ですよね、斉彬は。そこで留まれば単なる軍事技術ですけど、これを特産品として売り出せというのは斉彬らしいですね。今日につながる精神というか、企業家としての才能もお持ちなのだと思います。

※税込価格。税抜23万円。

03

明治元年、
油屋から焼酎メーカーへ。

原口: 113もの焼酎メーカーが鹿児島というひとつの県にあるのは、グローバルに見ても類を見ないと思います。濵田酒造さんの創業は150年前の明治元年になりますね。

濵田:幕末明治の当主伝兵衛が、それまでの家業の油屋から主力事業を焼酎に移していったのがこの時期で、それで酒造業創業明治元年と言っているわけです。

原口:それから雄一郎代表になって五代目ですよね。その中で技術的革新もあったし、市場を県外に求めていったということは、焼酎の発展に大きく寄与しておりますね。昔、焼酎屋と酒屋というのは別々に存在していて、現在の113というのはずいぶん合併してそうなったわけです。元はというと1,000以上あったと言われていますよ。

濵田:弊社もよく生き残れましたね。

原口:やっぱり強くなるだけでは長続きはしないわけですよ。「生き残る」「長続きする」ために何を変えて、何を守っていくか。今の時代のキーワードでもあると思います。強くなるだけではないそういった新しい価値観が非常に重要だというのが認識される時代になっていますからね。

04

スコッチVS本格焼酎

濵田:「生き残る」という意味において、ターニングポイントといいますか、ピンチがチャンスに変わった出来事もありました。薩摩に非常に縁の深いイギリス、ここのスコッチと薩摩の焼酎、これは同じ蒸留酒なんです。しかも南九州の地酒という位置付けでしかなかった本格焼酎を、一気に全国区に広めてくれたのは、実は当時英国の首相だったマーガレット・サッチャーさんなんです。わが大英帝国の誇るスコッチが日本で飲まれないのは、焼酎のせいだと。税金が安く、安値販売してるからけしからんと。スコッチと同等に税金を上げろと文句を言ってきて、それに政府は反応せざるを得なかったんですね、相手は鉄の女ですから。おそらく政府は本格焼酎産業の崩壊を覚悟したと思うんです。

濵田:そして大幅増税が続いたんですが、酒税が上がった分を店頭価格に上乗せすればするほど、焼酎というのは実はスコッチに匹敵するような素晴らしい蒸留酒だったという認識が広まり、結局はサッチャーさんが焼酎の価値を高めてくれたんですね。海外でも認められる素晴らしい酒がこの日本にもあると。彼女のおかげで、皆が気付かされたんです。

05

本格焼酎が世界の冠たる
酒になるまで、あと50年。

原口:雄一郎代表は、「本格焼酎を世界に冠たる酒へ」という夢があるとおっしゃっていますよね。世界の人を焼酎で幸せにするというゴールがあって、そこに至るメソッド、ルールというのを考える。時代が変わってもAIには真似のできないことですね。失敗を繰り返しながらゴールへ到達するというのは難しいと思いますけど、メーカーとしての醍醐味ではないかなとも思います。

濵田:日本全国に本格焼酎が広まり、次は海外マーケットしかないというタイミングなのだと思います。日本の生活文化や食文化が、海外の人たちから評価されはじめ、インバウンド人口も増えています。政府もクールジャパン戦略を推進していますが、もし本格焼酎産業が日本の国酒というポジションにたどり着いていなければ、その戦略に乗ることは難しかったかもしれません。でも今や日本のどこへ行っても本格焼酎が飲めないところはありませんからね。地方から世界市場が狙える今、本格焼酎産業は地方創生のエースとなる可能性もあるんです。外国の観光客の方々が、本格焼酎の背景とか歴史を、エピソード付きで持って帰ってくれるようなパターンをきちっと作り上げていけば、今の情報社会、物流システムを考えると、イギリスのスコッチが世界の冠たる酒になるのに要した時間200年に対し、本格焼酎が要する時間は、50年ぐらいではないかと思っています。

06

濵田代表が考える、
次の150年に向けた目標。

原口:まさに雄一郎代表が言ってらっしゃるヒストリーとストーリーですね。酒には地域の文化があり、歴史がある。お酒を飲みながら、そのストーリーをみんな紡いでいくことで、それが世界中に広がっていく。そういったモデルケースとして鹿児島の文化や歴史を継承していかなければいけない。だから伝統と革新と継承というのが社の理念になっておられるんじゃないでしょうか。

濵田:まさにそうですね。本格焼酎の500年、それを生んだ薩摩の800年、そういうものを考えると、やはり伝統と革新、それを継承といいますか、ずっと続けていくことだと思っています。近年の50年というのは、本格焼酎産業にとって大変革の50年でした。地酒だったものが県を越えて広がる。技術革新も進み、白麹、黒麹、黄麹とか、伝統的なイモ、ムギ、コメ以外にソバが出てくるなど、新しいものもいろいろ開発されました。サッチャーさんのおかげで大増税になったり、ロンドン条約の締結もあって、万人がこれでアウトかと思っていたのに大成長を遂げている。これだけの歴史が入った本格焼酎がこれからどうなるのかというのは、当事者の我々が何を思うかで決まってくると思うんです。我々自身がそのポテンシャルの高さをどれくらい信じられるかということですね。その可能性に挑んでいきたいというのが、これからの150年に向けた濵田酒造グループの目標です。

伝兵衛蔵 Denbeegura

伝兵衛蔵 Denbeegura
〜濵田スピリット、ここにあり。

手づくりの焼酎蔵として、明治元年に創業した伝兵衛蔵。本格焼酎の伝統の味・技・心を大切に、今日まで続けております。仕込みに使う甕や、蒸留器、麹室にいたるまでひとつひとつにこだわり、手作業の焼酎づくりだからこそ、その日の天気、温度、湿度にも十分気を配ります。伝兵衛蔵独特の優しい香り、凛とした空気感さえも大切にして、蔵人たちはただひたすらに、皆さまから愛される焼酎づくりに励んでおります。

〒899-2101 鹿児島県いちき串木野市湊町4丁目1番地
Tel:0996-36-3131

原口泉プロフィール

1947年、鹿児島県生まれ。東京大学文学部国史学科卒。鹿児島大学名誉教授、志學館大学教授、鹿児島県立図書館館長。専門は日本近世・近代史、薩摩藩の歴史。NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」「琉球の風」「篤姫」「西郷どん」の時代考証を担当。『龍馬を超えた男 小松帯刀』『西郷どんとよばれた男』など著書も多数。「薩摩金山私学校」にて学長を務める。